対談/北川貴英&山上亮 第三回「親子体育」をかんがえる
を読みました。
人間には個人個人の癖がありますし、また周囲の影響も受けてますから、徐々に動きにズレが出てくるわけです。そのときのセンタリングの座標軸として、永年稽古してきた型が機能するわけです。まあ人間というのは癖も含めてメディアなんですが、それで機能していれば良いのですが、ときにズレすぎてしまって見るに堪えないというか、聞くに堪えないみたいな状況にも陥ってしまうかもしれません。そのときに帰ってゆく場所ですよね。
人それぞれ気の流れ方って違いますよね、やっぱり。
自分と気の合わない人に会ったり、一緒に何か仕事しなければいけない、とかいうことは誰にでも起こりうることだと思います。
そんなときパッと「型」に戻って、相手に深く感応しすぎない。
中心軸に戻るために、結界のようなものとして、「型」や作法があるのだと。
大切な話だと思いました。
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