昨年に中野テルプシコールで上演した「山と骨」を再演したいと考えており、そのときの映像素材を編集して、PVを作成しました。
この作品、そもそもは北海道小樽の舞踏家・田仲ハルさんが東京に来るということで、私が格闘技をベースにした独自の「肉態表現」を追求するトマツタカヒロさんをハルさんにご紹介して、「とりあえず3人でやってみようや!」という勢いで、実際に劇場でやってみたら、本人達としては非常に面白かった!一気に意気投合して、今では「これを続けて、世界に売り込もうや〜!!」という気持ちになってます。
世代や日々の居場所が異なりはすれど、三人で気持ちを合わせて同じ目標に向かって走ることに、充実したものを感じています。
先日に妻が図書館で借りて来た漫画家の高野文子氏の「ドミトリーともきんす」。其の中に、ノーベル物理化学賞を受賞した日本を代表する科学者のひとり、朝永振一郎氏(1906〜1979)の言葉が引用されています。
物理法則というのはいろんな種類のものがあるわけなんですけれども、それらの法則を鏡にうつしたとき、変わるのか変わらないのか、変わるとすればどういう変りかたをするのか、そういうふうな、ひじょうに普遍的な問いに対して、三枚の鏡を用意せよ、そうすればミクロの法則は必ずもとにもどるであろう、という、いわば法則の法則とでもいうべきものが見出されたわけであります。そうういうようなすべての物理法則、ひいてはすべての自然法則を規制するような、そういう基本的なこの法則ですね。これはつまり、神様が左ぎっちょであるか右ぎっちょであるかというような、そもそも神様の性格にかかわることなのです。神様の姿を描いた絵など見ますと、厳密に左右対称に描いてあるものが多い。神様はそういうお姿のように、右と左とに差別なく働かれるものなのか、あるいは神様はやっぱりぎっちょであるのか、そういうことにかかわることなのです。
(朝永振一郎「鏡のなかの物理学」より)
ちょっとよく分からないんですが、「三枚の鏡」で、願わくば「ぎっちょな」神様の姿を現したい、そんな想いに駆られています。
次回「山と骨」公演、まだ詳細は未定ですが是非ご期待下さい!
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